2007.09.11
夕暮れ
先日の書き込みでSHIMA STYLEの施主(サーファー)より岩盤浴など行かずに
運動しなさい!と言われたので、きょうはウォーキングをしました。
夕暮れの百道浜は、空がとても綺麗です。
時々、出張先の帰りの車ですばらしい夕焼けに出会うことがあり、スタッフの
笠置と車の中から思わず見とれ、夕焼けのような建築つくれないかなあと
言うことがあります。
僕の記憶が間違っているかもしれませんが、修学院離宮の建物の中に
夕暮れの間という部屋があり、昼間の光を部屋の位置とひさしによって
調節し、夕暮れのような雰囲気の光の状態を演出した部屋になっていました。
昔の日本人の繊細な感性には、民族としての誇りすら感じてしまいます。
さて、僕の愛読書の一つであるヘンリイー・プラマー著「日本建築における光と影」
からの引用をご紹介。
赤い光は季節の変わり目に見られるだけでなく、
生成と消滅の転換期を表現するものである。
長波の光は赤外線の波長や熱線に近く、高温やエネルギーの放出などに
密接に結び付いている。
赤は変態状態が最も活性化しているものから発せられる光の色であり、
それは溶解したり錆びたりした鉄、残り火、踊る炎、火の起きている石炭、火床、
火葬の薪、恒星進化の最終段階にある膨張星などである。
燃えるものは死んで煙となって立ち昇るように、最後には輝ける灼熱の
エネルギーを見せつける。
それは発光するものすべたが放つ核心の色であり、物質が精神に変転する時、
またはその逆の作用が働く時にのみ観ることができる光の色なのである。
おそらく生と死のきわどい境目にふさわしい色は、赤をおいて他にないであろうし、
したがって一心同体ではないにしても非常に近い関係を暗示するような、
始まりと終わりの間の矛盾を含んだ感覚を喚起しうる色も他にない。
この始まりと終わりをつなぐ二義的な色彩現象は毎日繰り返される。
西の地平線に見える日没のように、消えゆく赤い球体が最後に投げかける光は、
雲と地面に一時的に淡い紅色の覆いをかける。
空と地面は毎日同じように輝く薄紅色を浴びて生まれ変わる。
この薔薇色のヴェールは地球上のすべてのものを色によって表現し、
日の出や日の入りの瞬間の風景がもたらす気分、さらに日常生活においては
目覚めや疲労の感覚として色によって表現しているのである。
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夕焼け!いいですねー!
我が家からは壱岐がみえるのですがその水平線
また夕日が沈んだあとの雲の色が素晴らしいです。
我が家の鬼嫁にいうと「ふ~ん」で終わり
慣れてしまっているのか?...
「子供は空を太陽が染めているのね」等とわかっているのか
ひとりごみ捨てをしながら感動しています。
といいつつ運動不足なshimastyleでした...