2009.01.20
アサヒビール
風邪が治ったら、無性にビールが飲みたくなりました。
実は、ボクはいけないことですが中学生の時からビールを飲んでいました。
我が家では、父がアサヒビールの社員で、社宅に住み
営業をしていたこともあり、ビールを飲むことが不自然でもなく
ときどき、少しもらっていたような感じでした。
当時、アサヒビールはどん底でキリンが50%近くシェアを占め
サッポロに続いて業界3位、昔は1位だったのが次第に売り上げが落ちてきて
まもなく、4位のサントリーに抜かれそうな状況でした。
(先日の新聞で、サッポロがサントリーに抜かれた記事が載っていました)
昔から、重たい味で受けていたのが、次第に世間の嗜好の変化に
対応できず、若い世代に飲まれなくなってきたのが原因です。
しかしながら、それまでの味を変えるということは、大変な冒険で
失敗すれば、これまでの愛飲者も失うことになりかねず、旭化成の管理下
におかれ、旭からの天下りの社長が来ても、売り上げは落ちるばかりでした。
そういう状況を社宅に住み、家族はいつも父から聞かされていました。
アサヒはその後、大幅な人員削減を断行し、本社も売り払って
ますます、規模が縮小していく中、当時経理をしていた私の父も会社に
見切りをつけ、経営コンサルタントとして転職しました。
その後、アサヒは社長に住友銀行から樋口廣太郎氏を迎えます。
樋口氏は、アサヒの工場を見て回り、落ちぶれても確かな技術力が残っている
ことを確信します。そして思い切って味を変えることを指示し、
企業のCI戦略のさきがけとなります。
そして、大変な勇気を持って味を変えラベルもブルーに変え世に出したのが
「アサヒ本生」というビールです。
このときのビールをどんな味だったのかもう一度飲んでみたいと思うのですが
残念ながら、アサヒ本生は主力商品だったにもかかわらず、次に出した
「スーパードライ」の大ヒットにより、いつの間にか消えていきました。
大衆の嗜好にタイミングよく合わせ、何杯飲んでも重くならないドライは
「コクがあるのにキレがある!」というキャッチフレーズによって売れまくります。
その結果、アサヒは手放した東京、浅草の吾妻橋の本社跡地をバブルにも
かかわらず、高値で買い取り、フランスのデザイナー、フイリップ・スタルクに頼み
金色の炎のオブジェが乗っかっているビアホールを伴った本社ビルを建てます。
アサヒビールの起死回生の復活物語は、企業間では語り草になっています。
だからそう思うと「スーパードライ」がきょうもまた飲みたくなるのです!
すると後で「アナター!飲むなら発泡酒にしてェー!」と妻に言われました。
ハァーイ!----------–。
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ちょっと立寄らせていただいたらこの話。「切れがあってコクもある」いい話しです。実は明日(今日かな)所用で吾妻橋のそこで打ち合わせ予定なのです。そういう風にでは視てまいります。へえーーー、そうだったんですか・・・!
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そうなんですよ!スタルクのビアホールで打ち合わせってかっこいい
ですね。是非、トイレに行ってみてください!
全面に水が流れ落ちるガラスに向かって
小用を足せるようになっています。