2012.01.29
百歳の恩師からの返信
一昨年ぐらい前のブログにおいて
小学1,2年生だった時の女性の担任の先生と
年賀状のやり取りが45年以上に渡り続いていることをご紹介したところ
これを読まれている方を通し、新聞社より取材の依頼があったことがありました。
そこで、初めて先生にお電話をして確認したところ
先生は、教え子とのやり取りにおいて
ボクとの45年間どころか
数多くの世代に渡りやり取りされており、
70年間以上の方もおられて
びっくりしたことがありました。
昨年は、年賀状が来なかったこともあり
心配しながらも
今年の年賀状に西高宮小の1、2年次にお世話になりました。
僕も55歳になりました。という言葉を書き添え出したところ
今月の中旬に先生より、
たどたどしい文字で長文の手紙を頂きました。
その文を一部中略ながらほぼ全文をご紹介します。
(一部よく読みとりにくい文字及び文章についてはご了承下さい)
おめでとう。お正月は早くこいこいなんて
遠い昔は待長かったはね
今はどうでもよい ちょっとこない方が良いかもね
年賀状はでも来た方がうれしい。
ごめんなさい 書いてもいないくせに------。
忘れてなんていません
でも書けない
手首(右)が骨折で指がしびれて箸を持つのが大変で
サジやフォーク時には左手の指でつまむのがやっと
情けない一わんの食べるが人並に出来ずに。
忘れてなんかいません
あなた方の記憶は今の私には宝です
何もかも出来ぬ老人には
昔の思い出が一番楽しいです。
あと一週間で満百才です。
大臣、知事、家族から十一月老人の日に祝の言葉や記念品をいただきました
まずまず自分のことが出来るようで幸と言うことでしょうか。
耳も目も足も歯も何とか使えます。
どこのお医者さんもりっぱだと言います。
百年使ったのですからと
若い時のものになるわけないでしょう。
頭は使っても使う程なんとかなるが
体は老化するのでアンバランスになり
あなたが体の方だけ治せと言っても薬はないと言います。
老化です。
仕方がない。あきらめました。
泣き言を言ってもね
みんな待っているところに行きますよ
眠い体が動かない、仕方がないので
百年の思い出にふけって○のころは古い写真を出して生きていた
この世に残すのは 親兄弟 知人のどこかに
私の影を残していることです
ニ十才の時の生徒は今と九十近いけど文通していました
同級生は知っている限り みんな死にました。
中略
名前は忘れていても顔ははっきり浮かびます
千葉にいる太田君はこの前来た時に
お父様の苦労を忘れてはいけないなんて先生ぶって話しましたよ
豊浜でお世話になったことも今、思い出しました。
お姉さん、お母さん元気ですか。
こうして書を出したらきりがないです
忘れていません
あなたが記憶に残していてくれることを感謝してもうやめます
しっかりおぼえています
体を大事にして八十九十と生きつづけて下さい
折があったらまたね
子供さん達に親のことをしっかりと残しておきなさい。
生きたあかしです。
生まれて来た神仏のおかげですよ。
大石和彦様
読み終わった後、涙が出そうになりました-----—。
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感動しました。100歳になられてもなお、色んな人への気配り・愛情…言葉の端々に伝わってきます。ごめんなさい、突然失礼しました。
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泣けました。
「継続は愛なり」です。
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ありがとうございます。
本当にそうですね。
100歳になられても頭の中は、明晰であり詩的な文章です。
ボクが7才の小学1年生の時に先生はもう52歳であり
その後、ほぼボクの人生分を生きられていることになります。
20歳から先生をされておられたということだと
1931年の時にすでに7才ぐらいの子供を
教えられていたことになり、とても長い時の流れを感じます。
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ふみの会平島です v^‐^
私も感動してうるっと来てます
素晴らしい先生ですね