2013.01.20
映画「ル・コルビジェの家」
先週、毎日新聞の夕刊、映画欄に取り上げられていました映画「ル・コルビジェの家」
昨日の伊東豊雄氏の講演において、
講演前のKBCシネマでこの映画の上映後トークショーにも出られたそうで
それを聴いて帰ってきた妻が是非、観たいという話になり
日曜日のきょう、午後6時35分からの上映に行くことになりました。
近代建築の父と評される建築家ル・コルビジェが設計した住宅では
南北アメリカ大陸において唯一のブエノスアイレスにあるクルチェット邸(1949年)
を使用しての映画で、「ル・コルビジェの家」とはあくまで邦題です。
クルチェット邸は外科医の自宅兼診療所でしたが、
映画ではミラノサローネに出品する世界的家具デザイナーである主人公の妻の父親が
購入し、主人公夫婦と中学生の娘が住んでいる設定になっていました。
建物は前面の広い通りに面し左右と奥は隣地と直接つながる共同壁で界されています。
敷地は間口が小さく奥に長い形状で中間に中庭を取り、二つの箱に分け
手前の箱の1階をピロティーと駐車スペース、2階が診察室
奥の箱は1階がユーティリティ(暖房ボイラー室、洗濯室)、2階が住居スペースエントランス
3階がリビング・ダイニング・キッチン、4階が3つの寝室とサニタリーで
手前と奥の箱の中庭に面して1階から2階までのスロープが設置されています。
矩形の敷地に対し前面が斜めに切られている場合、
斜線に対する形のまとめ方としてどのように折り合いつけるのか難しいところですが
この住宅においては前面ファサードを斜線に対し垂直とすることで
奥の建物との向きの変化を生み出し単調になっていないところがさすがだと思います。
映画では2階診察スペースがデザイナーの書斎として使用されていました。
その上部は前面の公園の緑を眺めるための屋上庭園となっており
シーンの一部としてパーティーなどにも使われる気持ち良いスペースとなっています。
物語はそういう建物の奥に隣接する共同壁の一部を隣に住む男が
リフォームで光を部屋に入れるために穴を空けたことから始まります。
主人公は事前の連絡もなく、自宅居室の窓の向かい合った壁に窓を作ることは
プライバシーの侵害であり法的に違法であるということを訴えますが、
果たしてアルゼンチンでは正当な権利なのか疑問です。
むしろ光を入れるために開口部を作ることの方が正当な権利であると思うからです。
ただ後からこのクルチェット邸のプランと説明を読んでみると
この状況は映画上の架空の設定ではなく、確かに現状が同じで
そこに目を付けた脚本が面白いと思いました。
有名な住宅作品に住むインテリで世界的デザイナーと下品で人間的でやーさんぽい隣人との
窓を巡る掛け合いによってストーリーが進みます。
ポスター左側の下品な男役のこのおっさんの演技がとにかく見事です!
ただこの映画、我々ものを創造する職業の人間にとって
主人公の行動は非常に不愉快であり、
こんなに責任から逃げる人間に決して良いものは作れないとついつい憤ってしまいました。
こんな人間と同じように見られてしまうこと
または建築家やデザイナーがどうしてこのように描かれるのか悔しいと思いました。
ストーリーとしてはよく出来た映画になっています。
上映は今週金曜日までです。
建築家の柳瀬さんが観に来られていました。
柳瀬さんは筒井康隆の小説のような映画と言ってました。
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「ル・コルビュジェの家」はクルチェット邸の内部空間も疑似体験できてとっても面白かったです。
筒井康隆は、ブラックユーモアを散りばめた、人間の微妙な心理劇がすんごく面白いんです。些細な出来事を、最初は簡単に処理できると思って安易にやってしまったことが裏目に出てしまい、焦って行動すればするほど、深みに入って得体の知れない、恐怖・不安にかられ、一見平穏であったものがガタガタと崩れていき、最後は破滅へと自ら進んでしまう。といったあり得ないようで、あり得るストーリー。
その夜、変な夢を見ました。隣の変なおっさんが丸い黒ぶちの眼鏡をかけて現れ、実はコルビュジェだったのです。コルビュジェはそれまでの厚い壁に囲まれた暗く不自由な建築に対して、近代建築五原則を提唱し、光溢れる住宅建築を通してそれを実現しました。
ハンマーで壁をぶち破り、俗物デザイナーに膝を詰めより頼み込むル・コルビュジェ。
ラストの壁を塞ぐシーンは余韻たっぷり、エンドロールも楽しかったです。
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柳瀬さん書き込みありがとうございます。
柳瀬さんの映画や小説に対する感度の高さは
いろいろな場でお話を聴くたびに
造られる建物はその意識の集合体としての結果だと
いつも思います。