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5月連休の最初の日曜日、朝よりエプロンと軍手を持ち夫婦で身支度を整え
実家へと向かいました。
3日に実家の母の引っ越しを予約しており
持っていくものと捨てるものの仕分けを今日中におこなっておく必要があります。
妻は冷蔵庫の中を全て出し家の冷蔵庫に一時預かる準備、
ボクは父が亡くなった後、そのままにしてある本棚の中の確認。
次にたまりにたまっている食器を全て二人で居間に並べました。
さらに押し入れの中にあるものを全て出し選別できる状態に。

古びた写真帳をめくっていると
この家で過ごした家族の記憶が甦ってきました。
懐かしく思うとともに儚さを感じ、
父も姉も他界し
小津安二郎の映画のように
家族とは、はかなく壊れていくものだなあと感慨に浸る。
きょうの祭日は奇しくも昭和の日。
このたった65㎡の広さしかない3LDKのマンションでも
当時はこれが普通で家族4人が特に狭いと思わず
幸せに昭和の時代を過ごしていました------。
40年の間に周囲の樹木も大きく育ち
5階建ての単調な箱が並ぶだけの団地も
ケヤキや桜に囲まれたうるおいのある環境になりましたが
建物は度重なる改修による工事で配管が露出し
老朽化した姿を晒しています。
エレベーターが無い中、4階の自宅へ
これまでよく頑張って上がれたものだと思います。

その後、外出許可をもらっている母を病院へ迎えに。
4床室の同室のお仲間から羨ましく送り出され
2月中旬の浜の町病院への入院以来、
久しぶりの我が家へと連れてきました。

事前に家の中が荷物でごった返していることを伝えていたからか
意外と感傷的にもならず、取り敢えず安心。
母を椅子に座らせ、
早速、必要なもの不必要なものの確認作業に入りました。
それにしても持ち物が多く、バッグなどは妻の5倍はありそうで
持ち歩くには重くて不便そうな物などは処分してもよさそうですが
それぞれの物に対する思い出があるからか捨てきれそうにありません。
食器なども奥にしまいこんで使っていなかったものも捨てきれず
一進一退しながら半分近くに整理しました。

さて次は押入れのなかにあるたくさんの布団。
引っ越し後、母のマンションの一室に泊まる身内のための寝具類を1名だけに抑え
自分用の季節ものの布団とともに半分ぐらいに減らしました。
日本人ってどうしてこんなに寝具の量が多いのかと思う。

きょうは夕食も外での許可が出ており、
消灯が9時のため30分前には病院へ帰らなければなりません。
時刻が6時を過ぎ時間が無くなってきたため
ある程度で切り上げ、母の希望でイタリア料理屋でパスタを食べることに。

昔から油ものが好きで85歳でカルボナーラを頼むとはさすが!
3か月ぶりのシャバの食事は病院食と違いおいしいわねえ!!と言いながら完食。
このカルボナーラの味見をさせてもらいましたがとてもおいしく
カルボナーラ博士の次男に教えなくては!

寮の門限に間に合わせるように急いで済ませ、8時半ジャストぎりぎりに病院へ到着。

充実した一日でした-----—。

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