BLOG

昨夜、妻と食事での会話で
彼女は現在、来月のOBオーケストラによる年一度の定期演奏会に向け
プロの指揮者に来て頂き、練習の追い込みとなっているようですが
オーケストラの練習において指揮者がいるといないとでは
雲泥の差だということでした。
音楽の場合、楽譜がありそれに基づき演奏を行うのですが
指揮者による演奏曲の解釈に基づく音の強弱や間合い、スピード、
その他もろもろによって全くイメージの異なるものになるようで
当たり前のことですが、指揮者の存在というものがとても大きく
建築もそうでしょうと聞かれました。

建築は楽譜に替わるものとして設計図面がありますが
楽譜と違い、もっと細かい指示がされています。
したがって現場において勝手な解釈で施工されると大変ですし
設計した人間とは違う人が、設計者の意向を無視して現場で変えることもできません。
(そこには現場では知りえない施主との打ち合わせによる項目が
無数に散りばめてあり、すべての寸法、仕上げは理由によって成り立っているからです。)

オーケストラの指揮者のように各パートごとの専門家(大工さん、設備、サッシ、左官、塗装、
板金、造作家具、造園など)の方たちとコンセプトに沿って一つの目標に向かい
まとまって目指していくところは似ています。
ちなみに施工者側の現場監督はコンサートマスターということになります。
現場監督という呼び方も何だかダサいので
コンストラクションマスターと言い換えればかっこいい!

音楽における楽譜やオーケストラは時間というものの表現にすべての意志が
込められているのに対し、建築は空間に対しすべての意志が込められているのだと
思います。
もちろん素晴らしい音楽も建築も聴覚、視覚という領域を越え
時間、空間を感じさせるものです。
芸術の領域は抽象化の行為を通し、五感を呼び覚ますものだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA