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月曜日に若手建築家のMくんと話す機会があり、久しぶりにいろいろと話をしました。
そんななかで、アトリエ事務所から独立していく若い建築家たちの
はなしになりました。
むかしと比べ建築家としての認知度が高くなった昨今においては
独立したてでも比較的に仕事が入り、
あまり苦労せずに何とか食べて行けるようになったことは
決して悪いことではありませんが、
その分、自分の中の内面性を掘り下げながら
建築を造ることに対して悶々とする時間が失われ、
自分を見つける時間を作ることが難しくなってきているということでした。
その結果、後で悩まなければいけなくなる問題を抱えているという認識があり
我々のような仕事がなかった世代で現在まで生き残って頑張っている建築家の人間は
助走期間が長かっただけ悶々として自分というものが確立されているという指摘でした。

ボクの組織設計事務所時代は自分というものがはっきりとないなか
独立して頑張っている連中が羨ましくて、羨ましくて、
会社の面白くない仕事をこなしながら、いつかかれらのように独立したいとずっと
思い続けながらも独立することができないでいました。
でも自分が独立すれば、こんな建築を造りたいという明確なイメージはありませんでした。
ただ、自分の中に眠っている何かがきっとある!
あるに違いない!という自信だけがあっただけです。
人間はそのような変な思い込みがあると、意外と強くなれるもので不思議です。

アトリエのスタッフはどこのアトリエ系事務所でも同じだと思いますが
これまで経験してきたノウハウのすべてを教え込まれます。
かれらは何十年もかかって築いてきたアトリエの蓄積を数年で覚えることができ
ボクのように回り道をしながら長い年月をかけなくても、
いまの段階でその上に積み上げていくことができとても羨ましく思います。
そういう意味においては独立する頃には「能力」も「熱意」も十分に備わっています。
そこで大事なのが先日のブログ「稲盛フィロソフィー」における「考え方」という問題だろうと
思います。
「考え方」は受験勉強と同じで決してハウツーだけでは習得できないもので
各々が自分流で悪戦苦闘して見つけない限り、身に付けることができないものです。

安易に手っ取り早く他の人の「考え方」を借りても
ゆくゆくは自分の「考え方」を見つけない限り、
壁にぶつかってしまう可能性もあります。

助走期間のなかで自分の「考え方」を見つけていくことができるとよいのですが------。

実はボクもいまだ助走中でして------悩めるオジサンとなりました。

 

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