2013.12.19
愛、アムール
昨年のカンヌ映画祭グランプリ作品のミヒャエル・ハネケ監督による「愛、アムール」を
レンタルDVDで観ました。
映画監督という職業は、表現する題材の結末を踏まえた上でストーリーの流れの中に
様々な暗喩や象徴を潜ませることができる立場にあり
映画を初めて観る鑑賞者はストーリーを追いながら、
先の見えないなかで暗喩や象徴の意味について思考しなければならず
理解しづらいケースがあります。
この映画においても最終的結末を想像できる感受性があれば文脈のなかにおいて
気付くことができるのかもしれませんが、
一度観るだけでは、監督の緻密に構成された意味を
捉えることは難しいように思いました。
ストーリーそのものに難しさがある訳ではありませんが
淡々と進んでいくドラマのなか、間合いのように挿入される象徴や暗喩、示唆は
非常に重要でこの映画にある種の芸術性を与えています。
ドラマは音楽家である老夫婦に起きた夫の妻に対する老々介護が描かれています。
老夫婦といっても夫役はあの「男と女」のジャン=ルイ・トランティニャンです。
あの彼が老人になって枯れた演技を見せてくれています。
物語はその老夫婦のアパートを舞台にほとんど二人だけの室内劇として進行します。
ここまで聞いただけでも重く、敬遠しがちなドラマですが
50代以上の夫婦であれば、だれもが直面する可能性がある題材であり
他人事とは思えず、ついつい観てしまいます。
また仕事柄、二人の住まいの間取りや使われ方などを観ていると
ほとんど使われなくなったフォーマルダイニングの存在や
シーンの中に頻繁に出てくるキッチン横のヌック(ブレックファストテーブル)での
食事や会話のシーンや置物、エントランスホールとしての大きなスペース、
グランドピアノが置いてあるリビングの壁面一杯の本棚や絵画、
ソファとパーソナルソファの使い方など、全てが緻密な筋書きに基づく小道具であるため
興味が尽きません。
この監督においては意味のないシーンや会話、小道具などはなく
たとえ意味が無くてもそれは意味のあるシーンとの対比によるものとして
表現されているように感じます。
そう考えだすと次第にシーンを振り返り思い出しながら考え
いろいろな意図が浮かび上がってきます。
小津安二郎の映画のようなローアングルによる人物を描きながらの会話のシーン、
画面における色彩構成の美しさ、それを背景としての究極の愛としての
哲学的命題、観終わった後いつまでも心に残る映画作品です。