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先週土曜日の夜に以前勤めていた山田守建築事務所の先輩から連絡があり
独立までの16年間にわたりお世話になった山田達郎氏が亡くなられ、
17日に告別式があるとのことでした。
山田氏は先代の山田守の二男で東京工大を出られ、
東海大学の助教授をされていましたが、その後、事務所の後を継がれました。

当時、ボクは表現主義の山田守にあこがれ入社しましたが
達郎氏の作風は大学で指導を受けられた谷口吉郎氏の影響を強く受けており
また、山田守も後に日本における機能主義建築の先駆けとなる東京逓信病院などの
設計を通し変遷を経ながら日本武道館や京都タワーなど作家性の強い作品を
残されてました。

そうしたなか後を継がれての事務所の方向性については組織事務所としての体裁と
病院建築の合理性、氏独自の作家性の追求にあったと思います。

当時、怒られながらいろいろな事を教えて頂きましたが
桜の花びらを白い盃に浮かべた時の盃に映る桜の色が美しいんだと
おっしゃっていたことを思い出します。
また、なにかを表現しよう思うならばそれを表現できる技術を持たなければいけない
とも言われていました。

なかなか扱いにくいボクのようなスタッフに対し、寛容的であり
いま思えば、よく辞めさせなかったと思います。
結婚時は福岡事務所所長の計らいで仲人にもなって頂き
その後、次第にボクについての評価を見直され
独立時は、事務所に残れとも言ってくれました------。

告別式は東京、青山の隈研吾が設計した梅窓院においてご親族と事務所OBだけの
氏らしい上品で簡素なかたちで行われました。

久しぶりの東京でしたが、今回を利用していろいろと建築を見て回る気分にはなれず
日本橋のたいめいけんでハヤシライスを食べ、早々に福岡へ帰りました。

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