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ボクには中学校からの親友がE君とK君のふたりいて、E君は親父さんが水上警察署の警察官で

中学2年の時に同じクラスでした。

K君は親父さんが大病院の経営者でEとKは1年生の時に同じクラス。

当時、ボクらはみな越境入学をしておりEは石城町からKは今川、

そしてボクは高宮から百道中学へ通学していました。

 

Eは男兄弟の兄貴の方でKは下に妹がおり、ボクは上に姉がおりみな長男ながら

ボクは弟としての立場の全く長男らしくない長男でした。

 

ボクらの帰りはいつも一緒で2年生の時,Eを通しKと知り合いました。

そして今度は3年時にKと同じクラスになり、

3人の友情は絡み合うように急に深くなりました。

 

当時ボクは恥ずかしながら軍国少年で「丸」という太平洋戦争の様々な戦いの詳細を

記事にした雑誌を読み漁っており、その流れで戦艦大和を代表とする連合艦隊の

プラモデル製作に夢中になっていました。

中学2年次はその影響が周囲の友達にも伝わり、

旧日本帝国海軍のモーター付きの艦船プラモデルをみなそれぞれ持ち寄り

室見川や大濠公園で浮かべて遊んでいました。

またEとは学校帰りに天神の岩田屋の屋上にあるホッケーゲームなどで

遊んでから別れていました。

 

そんなふたりの大親友に恵まれた為かみな同じ高校に進学してからも仲が良く

結果的に高校で新しい友だちを造ることができなかったことは

少し残念に思っています。

 

Eが京都で浪人中、医学生になったKと建築学科生のボクはそれぞれ課題に追われながらも

一緒によく行動を共にしました。その時Kが付き合い始めたのが同じ中学3年同じクラス

だった現在の奥さんで、彼らの交際期間中、ボクは一番身近な存在だったと思います。

そんなふたりが20代の中端、紆余曲折を経て無事結婚式を挙げました。

その時、新婦側友人として参列したのがボクの妻です。

妻もまた同じ中学、同じクラスの同級生で我々3年2組からは35名中、3組のカップルが

できるという縁結びの神様がいるクラスでした。

 

時は流れ、K君が何十年も継続していることがあります。

それはEとボクの誕生日にお祝いの連絡をしてくれていることです。

ボクらは彼の誕生日に連絡するわけでもないのに本当に律儀に義理堅く続けています。

昨夜も彼から電話がかかってきました——–

 

「オオイシ君!お誕生日おめでとう!!」

 

 

 

 

 

 

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