2012.11.23
晩秋の京都へ
名古屋での講演のついでに京都に寄り、紅葉を観てきました。
3連休のため京都駅は凄い人出でロッカーはどこも空きが無く、荷物を持って回ることに。
以前から行きたかった大徳寺の高桐院へ。
石畳みのアプローチの両脇にはこけのじゅうたんの上に舞い降りた
色どり鮮やかなもみじの葉が。
大徳寺の境内は広大ですが比較的平坦な場所に位置し、
高桐院だけが鬱蒼とした緑に囲まれ
境内の数ある他家の菩提寺と比べても非常に繊細で、
細川家の菩提寺として建立した
武将ながら茶人でもあった細川忠興のセンスの良さを感じます。
その後、15年ぶり3度目の近くの金閣寺へ。
20代に見た時は、ただ金ぴかで一体どこがいいのか全く理解できず
40代の時は曇り空の下、金色の持つ妖しさのようなものを初めて感じ
今回は、もっとディテールに興味を持つ自分に気が付きました。
素晴らしい建築は年齢とともに深くなる自分の感性を気付かせてくれます。
それにしてもこの約90年後に銀閣寺が建立される訳ですが
ボクには14世紀に建てられた金閣寺の方が繊細で技巧的に見え
マニエリスムを取り入れた西洋建築における
16世紀のバロックにも通じるように感じました。
したがって、銀閣寺は日本人の持つ侘び・寂びによって成立しているのに対し
金閣寺の特異性に興味を惹かれます。
また金閣寺は3層構成の1層が寝殿造り風、2層が書院造り風、3層が仏殿風の
3種類の違う様式を積み重ねた構成となっており、
ローマ建築におけるコロッセウムも3層のアーチ部分の化粧柱のオーダーには
ギリシア神殿における古典様式である
ドーリス式、イオニア式、コリント式を1層ごとに使い分けてあるところと共通性を感じます。
何か人間には民族や時代を超え、様式を折衷することに対する
共通の意識又は美学のようなものがあるのかもしれません。
金閣寺はおそらく当時において、
ポストモダニズムに近い非常に斬新な建物であったに違いありません。
そこで次に銀閣寺へ。
銀閣寺は1時ごろだったためかとても凄い人出で、
建物をゆっくりと見れるような状況ではなく
むしろ庭園の紅葉のあまりの美しさに目を奪われました。
紅葉はどこよりも一番美しく
日本の晩秋が古人の風雅による自然を演出する努力によって
素晴らしい色彩のハーモニーの世界として彩られていることに感動しました。
京都駅を3時半出発のぞみに飛び乗り、6時半ごろ帰宅。