2016.04.28
笹栗の家へ
先週、竣工から8年が過ぎた笹栗の家の施主からご招待を受け
当時、担当だった平野くんとそのスタッフ、当アトリエ全員でお伺いしました。
常に変わらず、ご自宅を美しく維持されていることに感動。
南の庭の東屋で軽くワインを頂きながら当時の苦労話などで盛り上がりました。
この住宅で感銘を受けるところは多々あり、
もっとみなさんに観て頂きたいと思うほどですが
素晴らしいのは日々の生活に対する奥様の美意識です。
特にそのなかで、ご先祖を身近に敬ってあげたいというお気持ちから
いつも生活されているスペースであるリビングの一画に
日々、拝むための仏壇を置かれていますが
それがただ単に仏壇を置いただけのものではないというところです。
もともと設計段階において
そのような意向を踏まえ作っていた一画ではあるのですが、
それをどのように使われるかは十分に理解していませんでした。
奥様も実際、生活をされながらの試行錯誤のなか
仏壇に置かれるひとつひとつのものを、従来的な使い方ではなく
この家のこのスペースに合わせるものは何がいいのか
漠然としたイメージを持たれながら次第に整えていかれたようです。
まず僕らが棒で打ち鳴らす「鈴(りん)」というものがありますが
下に座布団のようなものを敷いた上に金属でできたお椀型のものを置き
浄土真宗では拝むときに棒を下に向け持ち2回打ち鳴らすことになっています。
これが、結構大きいためもっとシンプルなものを求め探されたようです。
この写真では錫でできた置敷きの上にきれいなシルエットの鈴を置かれています。
また、これまで月に1度は必ずお墓参りに行かれていたそうですが
もっと身近な形で拝めないかと考えられ、
ご主人と奥様のそれぞれのご両親のお骨を一部分骨され
錫で出来た小さな茶筒に入れ祀られています。
これに分骨を入れるアイデアに行きつくまで、
常にそのような気持ちを持ち続けていれば
巡り合うきっかけが生まれると話されていました。
また、線香立てについてもミニマムなものを探し出されており
それらすべてがこの仏壇コーナーの一画に調和を保ちながら
遺影とともに置かれています。
ボクもこの年齢になってくると、
どうしてもいろいろなしがらみに縛られやすく
昨年、母が他界後、法事の喪主として法要を務め
お墓の改葬も行いましたが、
新たに自宅に仏壇スペースを作らねばならず
今のところまだ仮の仏壇のままになっています。
母のところにあった仏壇を思い切って処分し、
位牌は過去帳にまとめ
本尊や香炉、鈴などの中味はまだそのままの状態で
これらをどのように美しく置けばよいのか
踏ん切りがつかないまま手つかずになっています。
さらにもっと思い切ることも必要と思った次第です。
久しぶりの訪問でしたが
生活の達人としてこのように住まわれていることに対し
そのご自宅の設計に関わった者として誇らしい気持ちでいっぱいです。
Kさまありがとうございました!