2011.01.14
トラウマ
明け方、目を覚ましました。
直前まで夢を見ていたようでよく思い返してみると
小学5年生の時に飼っていたタローという犬が夢の中に出ていました。
当時、父の小倉への転勤に伴い、
小学4年生だったボクは家族とともに小倉の北方というところに引っ越しました。
木造の平屋建ての社宅が5棟並ぶ敷地で、敷地の入り口に大きな門があり
敷地周囲が塀で囲まれていました。
敷地内には大きな空き地もあり、たぶん現在ではどこにもないような社宅で
それこそ昭和の香りがするような場所だったかもしれませんが
当時の感覚としては、何となく、香りという懐かしさのようなものではなく
昭和の暗い陰りのようなものを小学生ながら感じていました。
そこに、マルというメスの雑種犬を飼われていた方がおられました。
マルはとても器量のいい犬で、賢く、いつも前足をクロスさせて
凛とした感じで座っていました。
捨て犬だったマルは、拾われて育てられたためか
飼い主が用事で鎖につないで出かけると
また、捨てられると思ってか、
いつも悲しそうな鳴き声を出してついて行こうとしていました。
そんなマルから3匹の子犬が産まれ、そのうちの1匹をもらいタローと名付けました。
耳が垂れ下がった真っ白な毛のかわいい雑種の子犬でしたが
親の男犬に似たのかみるみる大きな犬になりました。
タローとは6年生までたくさんの思い出が出来ましたが
父の福岡への転勤に伴い、福岡の社宅はアパートで犬が飼えないため
連れていけないということになりました。
可哀そうなタロー------。
何とかしてほしいという願いに対し、会社の社宅の人たちがみんなで
面倒を見てくれるということになり、タローとお別れしたのでした。
ほんとに可哀そうなタロー-----–。
2年後、心配になってその社宅の知り合いの家に行ってみました。
あのいつも洗って真っ白だった毛が、薄汚れてしまったタローがいました。
力なくしっぽを振りながら寄ってきてくれたことを覚えています。
その後、高校生になった時に風の便りでタローがフィラリアで死んだことを知りました。
そこで今、はじめて気付いたことは、
ボクが犬を飼う責任に対し優柔不断なのは
実は、その時のトラウマが潜在意識の中に残っており
その結果、犬を飼えないのではないかということでした。
トラウマというものは、過去の心の痛みや出来事に対し
覚えているものだという認識がありましたが、
心の奥に沈み込んだ、気付かないトラウマがあるとするならば
これを認識しないと心の壁を乗り越えることができないということになります。
実は人間というのは、そういう気付かないトラウマを
みんないくつか大なり小なり抱えているのではないだろうかと思いました。
最近、犬を飼うようなことを話したことはなく
昨日、ペット関連のテレビを見た訳でもなく、どうしてタローが
夢の中に出てきたのかわかりませんが-----------。
ただ、せめてその犬のことをここに残しておいてあげたいと思いました。