2007.12.11
女々しい男
昨日の毎日新聞の夕刊に作家の渡辺淳一さんの特集記事があり
コメントがとても面白かったのでご紹介します。
「女より男の方が精神的に揺れやすい、ひ弱な生き物で、いざとなると腰が引ける。
雄雄しさと言うけど、男は芯が弱いから、神様は外見だけ強くつくったじゃないかな。
-中略-痛みや出血に対しても女性の方がはるかに強い。
さらに男は持続する単調な仕事が苦手で、生命力も弱いから、現在寿命差が7年もある。」
女々しい(男らしくない)という言葉も使い方を考え直した方がいいかもしれない。
女々しくて何が悪い?女々しいからこそ男なんだ、と。
「総じて、男は未練がましい生き物でね。前の妻とよりを戻そうと、立てこもる
元暴力団員もいたでしょう。とにかく男は元の妻への回帰率が高いけど、
女性は一度嫌になったら、絶対に戻らない。」
そうです!これはみなさん経験があると思いますが------。
そこで記者が、「それでも、着てはもらえないセーターを編み続ける女や、
昔の男が探してくれるのを、バーの片隅でひたすら待つ女など、演歌の女たちは、
何ともその-----。」というと
「作詞家が男だから、あんな女々しい歌詞ができたんでね。
だから女性は演歌が嫌いでしょ?」
いやーバッサリ!
「過去の武士道が男ぶるのを強制し、おかげで女も男もひどい目に遭ってきた。
いまそうしたしがらみが薄まり、本来の姿に戻ってきている。
だから、未練たらしく、かつてつき合っていた女性議員のことを男が言うのも、
自然の姿でね。男も女も素直に自分を表現できる時代になればいいんです。」
ただ、博多の女って自分がどげんかせな!と思って九州男児ぶってる旦那のことを
かわいいと思いながら、一歩引いて、男として立ててあげながら実はしっかりと
男を操縦しているといいますよね。女性の方が意外としたたかでたくましいとです!
2007.12.10
ヒラノ東京へ
先週の土曜日から今日までスタッフのヒラノが東京へ出張に行っています。
例の千葉の住宅の担当として、現地確認と当地での確認申請に関する
法的規制と申請の流れの役所への確認が主な業務です。
確認申請の提出については、木造の場合現地審査で、それ以外の鉄骨、RC造
については、こちらの民間機関で受付が可能だそうです。
ヒラノは東京へは大学院以来らしく、5年ぶりの東京、せっかく行くので
土曜日から行って、見たい建築を見て回るそうです。
施主のNご夫妻のおかげで東京に定期的に行けることになり感謝しています。
安い月給で遅くまで働いている状態で、プライベートで東京には中々行けませんが、
これから、仕事で定期的に行けることを本当に嬉しく思っていると思います。
住宅の計画案は、現在2案検討中ですが、できれば3案出したいと考えています。
ご期待に応えるべくヒラノとともにがんばります!
2007.12.09
人生のバイオリズム
日々の生活の中でも、仕事や体調、その他もろもろの好不調があり、
それをバイオリズムと言っているようですが、
人生にも同じように好調、不調のりズムがあり、「六星占星術」では、
それを12年周期で表わし、生年月日によって各々の人生のバイオリズムが
運命的に決められているとしています。
それを信ずるかどうかは、人によって当然、異論もあると思うのですが、
私の場合、気味が悪いほど符号しており結局当たっていると言わざるを得ません。
周期は12の運気に分かれています。それに該当する私の周期を西暦で入れ,
竣工した物件名とスタッフもイニシャル I、K、H、Fとして入れてみました。
1995 減退
1996 種子 物事を開始する年
1997 緑星 物事が成長する時期 CLINIC K
1998 立花 基本的な方向が決まる重要な時期 F
1999 健弱 健康面での運勢が悪い年 I
2000 達成 物事の目的が達成される時期 海辺の家 I
2001 乱気 精神的にダメージを受けやすい時期 I
2002 再会 第2の出発点となる時期 CITY CUBE I
2003 財政 富が入ってくる時期 SIMA STYLE K
2004 安定 現状維持の時期 Fabric Wall K H
2005 陰影 大殺界の始まり K H
2006 停止 大殺界の中央 K H F
2007 減退 大殺界の終わり K H F
12年周期は、最も調子が悪い時の3年間を大殺界といい、何をやってもうまく
行く事が少ないので自重していたほうが良いと言われています。
要するに調子に乗ってると後で必ず反動がくるので、気をつけろということかも
しれません。
1995年は私が独立した年でたまたま大殺界の最後の年、ほとんど仕事がなく、あっても
流れるケースが大半でした。
1998年のFの住宅は、木造住宅の設計で模索していた自分に初めてやれそうな自信
をもたらした建物で、基本的な方向が確かに決まったといっていいかもしれません。
2000年の海辺の家では県の建築文化賞の優秀賞を初めて頂き、大きな自信になりました。
2002年のCITY CUBEでは、これまでの設計の方向性を変えた大きな節目であり、
まさしく第2の出発点となりました。
2004年以降スタッフにも恵まれ、仕事を続けてきましたが、今のスタッフは実は私が
もっとも調子が悪い時期にアトリエに入ったことになります。
その結果、この大殺界の3年間はスタッフの力で何とかアトリエを維持してきた状態で
私自身、3年間の中でも特に昨年は、スタッフのフォローに回ることが
多かったような気がします。
今年は、大殺界の終わりの年だからということで上昇に転ずると思っていたのですが
想像性においては、設計の進め方について少しづつ方向性が見えてきましたが、
それ以外にいろいろな事があり、もっとも厳しい年になりました。
本当に、よく当たっていると思います。
ということは、来年からは「種子」、いよいよ上昇に転ずるということで、みなさん!
大暴れ致しますので今後ともよろしくお願いします!
2007.12.08
SLIDING RING HOUSE
きょう、六本松の九大教養部から南側に行った輝国に土地を買われた
施主(以前、8月のブログ、真夏のキーホルダーでご紹介しました方)への
2回目の提案をおこない、即決しました。!
へいを兼ねて外部空間を巻き込んだ矩形のリング状1階外壁フレームと
デッキでのアウターライフをエンジョイするためにプライバシーを兼ねた
2階外壁フレームがずれて(SLIDING)成立している住宅です。
ずれは、木造でできる構造上と機能性から導き出された回答であり、
決して奇をてらったものではありません。
きわめて整合性のあるコンセプトになっています。
これは、スタッフのヒラノが考え出したもので、本当に力をつけたと実感しています。
アトリエに相応しい美しい住宅になると思いますので、これから詰めてがんばります!