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グッゲンハイム美術館(1959年)

 

ニューヘイブンからの帰りはグランドセントラル駅とニューヘイブンを結ぶメトロ・ノース線に乗り、マンハッタン島のミッドタウン北(地図上の上)にあるセントラルパークのさらに北側にあるハーレムで下車。

駅と地下鉄駅が連結されておらず、外に出てみると街の雰囲気がこれまでと一変!急に人種の構成が変わり騒然とした感じにビックリ!

携帯の地図を見ながらウロウロしているとかなり目立つと思い、駅出口に居た警察官たちに地下鉄駅がどこにあるのか尋ねたところあっち!という指示。

妻の手をしっかりと握りハーレムまだヤバッと思いながら急ぎ足で歩く。地下鉄へ下りる階段が見つからず焦る!地下に下りる身障者用のエレベーターを見つけ身障者でもないのに兎に角乗り込む。アジア系の観光客など皆無で浮いた感じながら地下鉄に何とか乗りました。(さすがハーレム!一瞬ながら何となく怖さを感じました——–。)

ハーレムから南下86ストリート駅で下車、駅内はハーレムほどではないにしても下町の感じ。(ここもミッドタウンの地下鉄駅内の雰囲気とはだいぶ違い、妻が帰りはここから乗りたくないという—–)

地上へ出て西へセントラルパークを目指すと歩いて10分ほどでグッゲンハイム美術館の一部が見えてきました。

時間は夕方の17時20分ほど。サマータイム制なのかまだ十分明るく、たくさんの人が列をなしており係の人から並ぶように指示されると—–周囲の人が今日は水曜日で18時から入場料が無料になるので並んでいると教えてくれました。

ラッキー!!入場料は通常一人当たり25ドルなので待つことに。その時間を利用して外観の写真を撮影。

 

 

遂にフランク・ロイド・ライト設計、最後の遺作であるグッゲンハイム美術館に来ることができ感動がこみ上げて来る。

 

 

 

シカゴのオークパークで住宅ばかりを設計していた時代から実に60年が経過。時代の流れに合わせ自在に作風をさらにその先のものとして変遷させていったライトは稀代の天才建築家だと思います。(名古屋の明治村に移転保存されている旧帝国ホテルロビーとこのグッゲンハイム美術館が同じ設計者であるとは、指摘されない限り誰も分からないと思います。)

 

(内部は6層の巨大な吹き抜けに面して螺旋スロープを回りながら絵画を鑑賞するという美術館としてはこれまでにない破天荒な構成でそれが外部のリングとなって構成が表現されています。リング間のスリットは実は外光を取り入れるためのトップライトになっています)

 

 

(グッゲンハイムはセントラルパークに面しており開場の30分前からは前面通りが車の進入が規制され歩行者が歩けるようになりました。)

 

(ここからの角度はかなり造形的な操作が行われているのがよくわかります。)

遠景、中景までは造形的ですごくかっこいいのですが、近景では面のボリュームが大きい割には素材感がないため大雑把に見えてしまう所があります。

 

 

(吹き抜け上部の巨大なトップライト、ライトらしい分割構成ですが上に何か幌のようなものが被せてあり日光調整のためにやむを得ないかもしれませんが、ここから直射光が射し込む様や空が見えたらいいなあと思う)

 

鑑賞者はらせん状のスロープを上下移動しながら作品を鑑賞するうユニークな構成で吹き抜けを通して上下階の人々の動きを見て取れることができます。ただ、作品と鑑賞者との関係性において何となく落ち着いて見ることができない印象も受けました。

 

 

僕たちはエレベーターで一気に最上階まで上がり、それからスロープを下りながら作品を鑑賞する方法を選択。最上階で妻を撮ってあげていると外で並んでいる時に話しかけてくれたアメリカのおばさんもたまたま隣に居合わさせ、「あなたたち!並んで!私が撮影してあげる!」と二人を撮ってくれました。

 

 

あなたたち日本人?と聞かれ、はいと答えると自分はニューヨークに住んでおり日本は大好き!東京と京都に行ったことがあると話されとても親切な方でした。

そう言えば夫婦で海外の個人ツアーをしていると必ず親切な方々に出会います。

 

 

吹き抜けのホールの2階に隣接する小ホールへの途中に建設当時の写真がありその中に、杖を持ち老いながらも毅然と現場に立つライトの写真が飾ってありました。(これを撮ってないことに後悔)

ライトはグッゲンハイム美術館の完成を見ることなく、半年前に91歳で亡くなります。1867年生まれですから日本では大政奉還、坂本龍馬暗殺の年です。西洋の建築様式ではちょうど世紀末真っ盛りのアールヌーボーの時代に青年時代を過ごしていることになります。それでミースとコルビジェの生まれた年を確認してみるとミースが1886年、コルビジェが1887年でした。

したがってこの二人の巨匠とは約20年の時代差があり、この頃のライトが生きた20年の差は近代建築運動を迎えるにあたってとても大きなハンディがあったようにも感じます。

 

最近、ライトの建築が世界遺産になったというニュースが流れ、建築関係者はたぶんミースは?コルビジェは?と思われた方も多いかと思いますがライトが果たした役割として西洋建築史おけるクラシズムの時代から現代まで長きに渡りそれぞれのタームで影響のある建築を造り続けたことに対する評価ではないかと思いました。

 

セントラルパーク(1859年)

 

グッゲンハイムを出てその後、折角だから少しばかりセントラルパークを歩くことに。

 

(この明るさで午後8時ぐらいです)

パーク内の池に面した場所では結婚式のパーティーが野外で行われており正装したニューヨークの人々含めそのシチュエーションがとても都会的な雰囲気でかっこいい!と思いました。

 

ホテルに帰ってきたのは9時ごろ。そこで少し休憩後、近くの韓国料理店「TOHFU」へ行き、アメリカに来てやっと夕食らしい食事にありつけました———-。

 

エンパイアステートビル(1931年)

 

 

その後、隣接するエンパイアステートビルの展望台への入り口を下見。展望台入口は正面入り口ではなく回り込んだところにあり夜中の1時まで開いているとのこと。

ケーリーグラントとデボラカー主演の映画「めぐり逢い」の1年後の二人の待ち合わせ場所がこのビルの展望台で彼はそこで雨が降り出す中、トレンチコートの襟を立てながら閉館時間になるまで彼女を待つシーンがありましたが、夜中の1時まで待ったのでしょうか——?

 

妻は登ってニューヨークの素晴らしい夜景を観るのにまだ元気いっぱいのようでしたが、ボクはかなり疲れたため明日、トライすることに———。

 

 

 

 

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バイネッケ貴重書図書館(1963年)

 

さてルイス・カーンの2作を後に同じイエール大学構内にあるバインネッケ貴重書図書館へ向かう。天気に恵まれサイコー!

 

 

クラシカルな建物が並ぶ緑あふれる構内を進んで行くと急に視界が開けた一画に建物が姿を現します。(残念ながら手前が工事中でシートが邪魔でしたが—-)この建物が保管している物は希少本でありいわゆる古い本が中心だろうと思うのですが、大学そのものもクラシカルな雰囲気の中、よくぞこんな建物を提案したものだと思います。どのような経緯でこの建物が生まれたのか知りたくなりました。

 

 

こちらの方がカーンの作品より圧倒される迫力があります。

美しい彫刻的グリッドフレームの中に埋め込まれているのは大理石を薄くスライスしたパネルです。枚数は正面が15、サイドが10枚、人の高さから推測すると1枚当たりの大きさが2.5m角ぐらい。すると正面が15枚×2.5m=37.5m、サイドが25mぐらいでしょうか。右横に立ち上がりが見えているのがイサム・ノグチがデザインした有名なサンクンガーデン。

 

 

(残念ながら下へは立ち入り禁止になっており上からしか見れませんでした。大分の美術館で開催されたイサム・ノグチ展ではこの庭のことが詳細に説明されていました)

 

 

我々設計者が通常、軒天の仕上げを考慮するとすれば金属パネルやボード類になるのですがここの軒天に使われているのは石材でした!石材の場合、かなり重いので通常化粧ボルト等で落ちないようにするのですがこれには何も見えていません。このピロティ―部はカフェテラスになっています。

それにしてもこの建物を支えている部分がピン接合のように細く一体構造的にどのようになっているのかわかりません。これが四隅にあり、浮いている建物のピロティ下は四周全てガラス張り。

 

 

 

 

素晴らしい空間!パネル状にスライスされた大理石の模様がステンドグラスのように光が透過して映し出され、下からは自然光による白い光が湧き上がるなか、中央部のコア(核)には黒いスチール線材によって縁どられたガラスボックスの中に幾層にも積み重なった希少本を見ることができます。

 

 

内部ガラスボックスの回りは1階の吹き抜けが全周回り梁も全くなく2階フロアが取り巻いています。

久しぶりに心が震える感動を受けました。

 

 

 

さて、ここから駅へどう戻るか?行きのタクシーでは7~8分の距離でしたがタクシーを探すものの全く走っておらず、取り敢えず駅方向に歩いて行く。

気が付けば後ろから手押し車を引いた不審なおっさんがついて来るためちょっと気持ち悪く思っていると突然声を掛けられました。「君たち!どこへ行きたいの?」と聞かれ「ユニオンステーション!」と答えると「その先の緑のマークがついている所にバスが止まるからそれに乗ればいいよ!」と教えられる——-いい人だったんだ!!すいませんと思う。

そのマークがついた場所は無料巡廻バスが止まる停留所で20分おきに来る場所は時刻表が貼られておりネット情報には全くそういうことが書いてなかったため助かりました。

これで船以外のあらゆる交通機関をほぼ制覇!

国際線飛行機、国内線飛行機、列車、地下鉄、バス、タクシー、ウーバーの7種類

 

列車の出発時刻まで少しあったので駅の売店でパンと飲み物を買って昼食を簡単に済ませ15時発の列車に乗る。

今度は終点のグランドセントラルまで行かず、地下鉄の駅と交差しているセントラルパークの北にあるハーレムで乗り換えグッゲンハイム美術館を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

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英国美術研究センター(1977年)

 

 

1977年竣工のこの建物はルイス・カーンの遺作となっている。5×3スパンの構造をコンクリート打ち放しによるグリッドフレームによってさらに2分割されており、内部の二つの吹き抜け部分にもその分割が繰り返されています。分割された外部壁面はステンレススチールになっており、所々にランダムにダークガラスの開口部が配置されています。

 

 

 

分割された各面の下端には巨大な水切りがRをつけて設置されており、通常のデザインでは強調しない部分が強調されており非常に驚かされます。

 

 

 

(1階エントランス、意外にも素っ気ない扉)

 

(これも変わったライトの取り方で照明器具の数もやたらと多いし、わざとごついデザインにしているような)

 

(1階ホール)

 

(エントランスを入ると4層吹き抜けホールがありトップライトからの直射光が入る外部的空間になっています)

コンクリートフレームグリッドによって分割された壁面にはオーク材が使用されています。タテのフレームとヨコのフレームは揃えずにわざとタテフレームだけ引っ込めてあります。その理由は色々と考えられますが 1.ヨコラインを強調したかった 2.タテを引っ込めることで壁面パネルとしてのオーク材の厚みを見せたかった—-等々考えられますが——-。

 

 

 

 

(最上階エレベーターホール)

 

外部のような明るい吹き抜けスペースを取り囲むように各階展示スペースが配置され吹き抜け側に面した開口部は外部に面した開口部のようにも見えてきます。

これは長谷川豪のデビュー作である「桜台の住宅」によく似ているようにも感じました。

この建物にはここの吹き抜け以外にもう一つ吹き抜けがあり建物の中央部にあるエレベターと階段室によって分け隔てられています。

 

(階段室、手すりデザインがごつい!)

 

(もう一つの吹き抜け)

 

(内部開口枠まわり)

 

 

(最上部にあるもう一つの展示スペース、とても全てを見ることが出来ない量です)

学生時代にこのようなところに毎日通って見ていればおのずと芸術的教養もつきますよねえ——-羨ましい限りです。

 

 

 

 

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イエール大学はヨーロッパの古典的建物のようにデザインされており構内に入ると一見ヨーロッパの街並みのように見えますがルイス・カーン設計のアートギャラリーはそんなクラシックな建物に接続して建てられているため違和感が出ないような配慮がされているように見えました。

 

 

 

(一番左端の建物がアートギャラリー)

アートギャラリー、英国美術研究センター、建築学部棟は交差点に面して建っており、上の写真ではアートギャラリーの先に交差点があり向こうに建築学部棟、こちら側に英国美術研究センターという配置。

 

SONY DSC

(ポール・ルドルフ設計のイエール大学建築学部棟、ポール・ルドルフといえばこのコンクリートの斫り仕上げが有名で同じコンクリートでありながら打ち放しとはまた違った質感が表現されています。また建物の分節化もルドルフの特徴でこの建物は垂直方向が強調されたデザインになっており古典建築風の建物がメインとなっている施設の中でゴシック的なものを少し意識してたのかもしれません。それは現地に行ってのコンテクストを感じるからこその感想です。)

 

 

アートギャラリー(1953年)

 

 

アートギャラリーはこの最も特徴的なコンクリート打ち放しの正三角形によるグリッドスラブとシリンダー内の階段が有名ですがこの天井裏を一切造らず構造的梁を露出させているのはたぶん隣接する古典的既存建物の高さに合わせるために採用したのではないかと思いました。美術館としては珍しく天井が低い建物になっています。それにしても隣接する建物はオリエント美術、このアートギャラリーは、アフリカ美術や東洋美術のフロアがありここにも1900年代の前半のピカソなどのキュビズムや近代絵画が目白押しでありしかもただで鑑賞できるのですからそんな大学、日本には全くないのではないでしょうか。本当に凄いと思います。

 

 

(コンクリート打ち放しシリンダー内階段の最上部見上げ)

 

 

(同上見下ろし)

 

(手摺詳細、ステンレスがかっこいい!)

 

カーンのディテールは意外にも素材のパーツが大きくしっかりと存在感があることでそれは行って見て初めて感じる印象です。

 

 

 

 

 

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メトロ・ノース線

 

弾丸ツアーも3日目となり、今日はニューヨークのグランドセントラル駅よりメトロ・ノース線ニューヘイブン行きの列車に乗り、イエール大学構内にあるルイス・カーンが設計した建物を中心に見に行く予定です。

カーンと言えば、大学同期の井本氏がむかしからカーン、カーン、カーン!(ホームランではありません)と念仏を唱えるようによく名前を出してました。我々の年代では確かにカーンの影響はかなり大きいと思います。

そんなカーンの作品が見れると思うとワクワクします。

 

余談ですが、メトロ・ノース線には北へ走る三つの経路があり一つは西側のハドソンリバー沿い、次が中央、そしてもう一つが東海岸沿い(ニューヘイブン行)で、ハドソンリバー沿いの線とグランドセントラル駅はロバート・デニーロとメリル・ストリープ主演の恋愛映画「恋におちて」の舞台になった場所です。

 

朝の7時に起き、身支度を整えホテルの朝食を隣にあるデリで食べる。ニューヘイブン行は30分おきに出ており、9時発に乗るのに8時半ごろホテルを出てグランドセントラル駅へ歩いて向かう。天気はくもりですが徐々によくなりそう。

 

 

 

朝の通勤時間帯のため地下のホームに到着した列車から人々がどっと吐き出されてきましたがその後の列車内は逆方向のためとても空いていました。

 

 

 

何気ないアメリカでの列車旅も車窓から見える風景は特別に感じます。それにしてもスピードが遅い!

 

 

 

 

2時間かかって終点のニューヘイブン、ユニオンステーションに到着。構内には至るところに警察官が立っており、一見雰囲気的には治安が悪そうには全く見えないのですが、事前のネット情報では全米の中でも悪い方だと書いてあり、若干不安な気持ちのまま駅前に待機していたタクシーに乗り込みイエール大学へ

 

イエール大学(1701年)

 

(素晴らしい環境のイエール大学構内)

 

イエール大学構内には、ルイス・カーンが建築家として公共施設の設計を初めて手掛け、遅いデビュー(53才)を果たしたアートギャラリー(1953年)と遺作となった英国美術研究センターの二つの建物が向かい合うという建築家にとって幸運なのか残酷なのか見る者にとってはありがたい立地条件となっています。

 

またこの2作品以外に隣にはポール・ルドルフ設計のイエール大学建築学部棟があります。ポール・ルドルフは現在の若い人達には忘れ去られているかもしれませんが、当時、我々が建築の学生だった頃、ルドルフ自身による線画のパースは有名でこぞって真似をしたものです。建物は複雑な有機的構成で当時アメリカ建築界のホープでした。

 

さらに歩いて少し離れた同じ構内にはアメリカ最大手の組織設計事務所、スキッド・モア、オーウィングズ&メリル略称(SOM)のゴードン・バンシャフトが手掛けたバイネッケ貴重書図書館(学生時代に外壁が大理石のスクリーンで内部はそれが外光により透け模様となって見えている写真を何度も見た記憶があります)等々著名な建物が固まっており見ごたえがあります。

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