2019.06.30
佐賀 M PROJECT 外観撮影
1年前に竣工した佐賀 M PROJECTの北側外観撮影に立ち会いました。(写真はアトリエで撮影したもの)
住宅の正面が北側のため撮影は陽が北側に回り込む夏至前後に限定されます。夏至前後は梅雨とも重なるためテクニ・スタッフの岡本氏に依頼し急いで撮ることになりました。
パノラマハウスと同じ構成で中央部コアより梁を持ち出しているため2階外周部には柱がありません
(この西面外部テラスにはあります)
内部の撮影はまた改めて撮影予定です。
2019.06.26
アメリカ建築弾丸ツアー 2日目 ニューヨーク NO2
初めての地下鉄
MOMAに行く地下鉄乗り場までリキ君に案内してもらう。
彼の話によれば、日本の地下鉄は地下に下りてホームで線の行先を反対方向と選択ができる浮島式になっているが、アメリカの地下鉄は地上口から反対方向の行先が分かれており、中では選択できないとのこと。
(ところがそうではなく中で分かれている所もあり後で非常に戸惑うことに—–)
彼と別れいよいよ地下鉄の初乗り!
路線が間違っていないか先頭車両の頭についているマーク番号と背景の色で確認して乗り込む
中では次の停車駅のアナウンスがあるものの列車の走行音でほとんど聞き取れません。
また、中に次の停車駅を示すものがなく停車したホームで駅名を確認しながら何とかクリア!!
(ニューヨークの地下鉄といえば、ボクたちの世代は映画ゴースト/ニューヨークの幻の地下鉄シーンを思い出します)
地下鉄を上がったすぐ斜め向かいにMOMA発見!
MOMA(2004年)
ニューヨーク近代美術館(MOMA)が面白いのは、建築、インダストリアルデザイン、グラフィック、写真、映画などこれまでの美術館が収蔵してきた絵画や彫刻などの枠組みにとどまらず新しい時代の価値観に基づく総合アートとして様々なものを評価・収蔵している点で、また2004年に行われた国際コンペによって日本人建築家として谷口吉生氏による設計で900億円にのぼる増築が行われ建築としての評価が高いということが挙げられます。
チケット売り場は長い行列となっていましたが意外とすぐに中へ入れました。
チケット売り場から左の階段を上がり巨大な吹き抜けのあるホールへと向かうのですがライトのように空間が水平方向と垂直方向へ流動しており、空中ブリッジを通る人々の動きが重層的に表現され、端正な空間でありながら動的で生き生きした空間になっています。
奥の壁に切れ込みを入れ、さらに奥の階段をちらりと見せる———凄い!かっこいいー!!
各階の展示スペースは単純に積み上げているだけなのですが低層部のボイドと積み上げているボックスに面した巨大なボイドによって視覚的流動性が生み出され、変化に富んだスペースになっています。また、各階の展示スペースにおいても休息の間合いとしてボイドスペースや中庭が見えるような気配りがされており飽きさせません。
(展示スペースから見える中庭)
各階には色々な展示が行われており、イサム・ノグチの師匠であるブランクーシの彫刻作品を鑑賞
(彫刻作品が置かれたブランクーシの部屋、この写真欲しい!!)
また別の階では、50~60年代のインダスリアルデザインの展示
(このイタリアの自転車!かっこいい!!)
圧巻なのは6階の常設展示フロアで美術の教科書で見た、超有名な絵画が目白押しでアメリカの富というものを見せつけられた経験でした。(当然ながらメトロポリタン美術館はさらに破格に凄いと思いますが)
ピカソの「アヴィニョンの娘たち」
ゴッホの「星月夜」
マチスの「ダンス」
アンリ・ルソーの「夢」
ダリの「記憶の固執」
日本と違い撮影はOK!実際の原画を見ると絵の大きさがよくわかります。
もちろんこれ以外にも巨匠作品がゾロゾロ!よだれが出るような凄さで特に日本では絶対にお目にかかれないイタリア未来派の作品群が観れたのもお腹の調子が悪いのを忘れるくらい 感動!
この建物を設計したのが日本人建築家であることに誇らしい気分になりました。
閉館時間まで粘り、その後、MOMAショップで買い物、地下鉄に乗ってホテル近くの駅で降り、ボクは夕食は入らないため妻だけデリ(調理済みの西洋風惣菜。また、それを売る店)でテイクアウトを注文。
(デリとは言え、その場で具と麺を選んで炒めてくれるし、サラダも自分流に野菜とドレッシングを組み合わせて注文することができます)
(サラダコーナー)
無時ホテルに戻り、時差ボケなのかボクは今日が一番きつく何も食べずにシャワーを浴びて早々に寝ました。
—–さあ—–明日は—–ルイス・カーンを観に—–ニューヘイブンへ————–。
2019.06.23
アメリカ建築弾丸ツアー 2日目 ニューヨーク NO1
シカゴを経ちニューヨークへ
6月10日、月曜日、シカゴオヘア空港に4時半ごろ行ってみるとさすがにまだ人が少ないものの
セキュリティチェックを受けるのに一人一人靴を脱がされボディセンサーのある機械の中で両手を上げ
回らねばならず、満席となればかなり時間がかかり、3時間前に行った方がいいという話も大げさではないように思えました。
空港内で朝の5時から開いているお店に入り、アメリカに来て初めて食事を取る。
体重が200kgぐらいの黒人のウエイターが体を動かすのも大変そうな状態で来て席に案内してくれる。
アメリカンブレックファスト(コーヒー付)を頼み、料金は2000円ほど、アメリカは予想通り食事代が高いと思う。
(ビジネスマンたちは席がないマックに並んでおりボクたちのように席があるお店は高いのだろうと思う。
でもとにかくやっと食べたぞー!——味はまあまあ—–)
6時30分発ニューヨーク行きデルタ航空は満席で 所要時間は2時間半。
リキ君の出迎え
ニューヨークJFK空港のターミナル4に到着。エーロ・サーリネン設計のあの有名な有機的形態の建物が隣のターミナル5にあるものの大きな旅行用ケースもありついでに見るという心の余裕はなく、妻の友人のお嬢さんがこちらに在住で彼女は入れ違いで里帰りしているものの、代わりにお婿さん(リキ君)に出迎えてもらいほっとする。
ニューヨークはあいにくの雨、彼がウーバー(配車アプリ)で手配してくれた車に乗りマンハッタンのホテルへ向かう。
(事前のネット情報ではタクシーだとチップ込みの70ドル程度,ウーバーは50ドルでかなり安いということでしたが結果的に95ドルでちょっと驚く)
雨のニューヨークは超高層ビルが雲の中に霞み、重く垂れこめた雲で巨大さがよくわからない。
ホテルで荷物を預かってもらい、リキ君が12時半にイタリア料理店を予約しているということで、それまで時間つぶしにホテルから歩いて近いところにあるニューヨーク公共図書館を案内してもらう。
(右側がブライアントパークに面したニューヨーク公共図書館)
(撮影可能な自習室、普通に撮っても映画のような雰囲気)
公共図書館のすぐ近くにグランドセントラル駅もあるため、ついでに行き、
10回分のメトロカード1枚(カードは一人がゲートを通過した後、後ろの人に渡すことができるらしく二人で1枚を使うことができるそうです)、また翌日のニューヘイブンの往復切符も自販機で購入——-ああー助かるー!一気に気分が楽になる。
(グランドセントラル駅)
リキ君は奥さんがうちの次男と保育園がいっしょで彼女のご両親とは家族ぐるみのお付き合いしているものの、これまで会ったことがなく初めての対面にも関わらず、打ち解けた話ができました。
ニューヨークでは照明の技術コンサルと計画の会社を立ち上げ、仕事について色々と伺う。彼の語りを聞いているといい意味で彼のような自信を持って自分というものを語る人間に対してニューヨークという都市はチャンスを与えてくれる場所なんだなあと思う。ボクももっと若い時にこんな状況に接していたらきっとまた新たな方向に変わって行ってたかもしれない——-と思う。
イタリア料理店へ行く途中にハーバード大学の建築学部長で日本人女性の森さんという方がデザインされたJプレスショップのLED間接照明を彼らが開発したということでちょっと寄ってみることに。
(Jプレスショップ、Jプレスはイエール大学があるニューヘイブンが発祥のアイビーブランドでハーバードやイエールなどアメリカの学閥意識はかなり高いとのこと、女優のジョディ―フォスターの出身校)
イタリア料理店での三人によるランチ
やっとイタリア料理店に到着。お腹の調子はあまり良くないもののこのお店で人気があるというハンバーガーを注文。
(ニューヨークのビジネスマンたちがランチでよく利用する人気店らしい)
(ランチメニュー、ハンバーガーが19ドル、パスタが28ドル等々)
体が雨に濡れているうえにアメリカ人は暑がりらしく、店内は冷房がかなり強くお腹の調子が悪くなる。
時刻は13時半を回っており、予定ではこの後、ニューヨーク近代美術館(MOMA)とグッゲンハイム美術館に行く予定でしたが、どちらも閉館時間が17時半のため、グッゲンハイムは明日にして今日はMOMAをゆっくり時間を取って見ることに 。
2019.06.21
アメリカ建築弾丸ツアー 1日目 シカゴ NO2
ファンズワース邸を午後2時半ごろ出発、
当初の予定ではオークパークにあるフランク・ロイド・ライトの初期住宅群を経て
ミースのレイクショア・ドライブ・アパートメント、そしてマリーナベイを急ぎ足で外観のみ見て回ることにしていましたが、
妻の体調回復が思わしくなく、先にホテルに送りその後、オークパークだけ行くことに変更しました。
オークパークは、シカゴに隣接する高級住宅地で
フランク・ロイド・ライトがサリバンの事務所から独立して最初に事務所を構えた場所です。
都市と街とを結ぶ高速道路から見える景色は手つかずの自然、そしてこのような住宅地は
一転して鬱蒼と茂る街路樹に芝生が拡がる風景、人工と自然の対比がとても顕著であり、
日本人とは違う自然に対する認識が形成されるように感じました。
(敷地は角地で正面がライト自邸)
ライトは当初、このオークパークに自邸を建てたようですが仕事が次第に忙しくなり事務所を自宅裏に増築したとのこと。
(増築された事務所側入り口、水平に出された軒、陰影と細く見せる為に軒先は二段に見えるようになっています)
(帝国ホテルポーチ部に左右対称に配された石造りの半球などはもうすでにこの段階で表現されています)
ライトによる試行錯誤のデザインが細やかにされており、後のシンプルでモダンなライトよりも勾配屋根の付いた住宅の外観をどのように表現するのか様々な実験を見ているようで初期住宅群はとても面白いと思いました。
どのような天才であってもデザインのベースというものは原点の積み重ねがベースになっており、全く新しいものが突飛もなく出てくるものではないと思いました。
(ほかにもライトがどうかわかりませんが色々なタイプの住宅が建っていました。ライトは1890年代に次々と住宅を設計しておりこれらの住宅は120年前!!の住宅ということになります。
ライトの住宅は現在も住まわれており、勝手に売ることは禁じられ、売却の場合、売却金と購入者は市の方で事前にチェックされるそうです。)
何とか持ちこたえていた天気も次第に下り坂になりとうとう雨が降り出しました。
ホテルへ送ってもらい時間は午後6時。宮下さんより翌日月曜日のニューヨーク便は日帰り出張が多く、アメリカは9.11以降セキュリティが厳しくなっており出発時刻の3時間前に空港へ行った方がいいと言われました。
3時間前?って朝の6時20分発からすれば午前3時20分?さすがにそれはにわかに信じがたく、2時間前にチェックインすることに決め、体調も悪いこともあり食事も取らないまま、午後の9時に就寝。
2019.06.19
アメリカ建築弾丸ツアー 1日目 シカゴ NO1
三重苦の飛行旅
6月9日、午前7時20分 福岡発に乗るのに4時に起床。
12時ごろに寝た為、睡眠時間が4時間程度でとても眠く出発。
成田で乗り換えるシカゴ行き飛行機はなんと満席!
(後からわかったのですがシカゴで年1回開かれているインテリアの見本市と重なったようで)
我々夫婦は横に並べず、前後席に、また座席は3列シートの中央という、
12時間の飛行時間、会話もできず、身動きできず、眠れずの3重苦の飛行旅はキツイ!
成田を朝の9時50分に出発、シカゴへ朝の8時50分に到着。
ほとんど一睡もできないまま空港内にあるヒルトンホテルで宿泊予約の確認を行い、荷物を預け
11時に正面玄関に来てもらうことになっているチャーター車を待ちました。
絶不調の妻
妻の調子が悪く、機内で何度か嘔吐したらしく「ゾンビ―ノ知子」という感じ。
ボクも睡眠不足で胃の調子が良くありません。
ヒルトンのロビーで待つことすら気持ち悪いらしく、ホテルの外でしばらく待つと
予定通り日本人ドライバーのチャーター車が来ました。
ドライバーの宮下さんはシカゴ在住14年ということでアメリカには24年間住んでいるそうです。
氏の説明によれば、シカゴの人口は約280万人、全米では3番目に大きな街で
1番がニューヨーク、2番がロサンゼルスとのこと。
シカゴは元々、ドイツ系移民が造った街だそうで、
そう言えば、これから行く建物の設計者であるミース・ファンデル・ローエが
ドイツから亡命して来たのがここであり、ここのイリノイ工科大学の建築学科教授として招聘されています。
ドイツ人脈としての何らかのつながりがあったのかもしれません。
車は空港からすぐに高速道路に乗り、西に向かって走り出しました。
車線は片側で4車線もあり走っている車は、ほとんどが日本車か韓国車でドイツ車などあまり走っておらず、
また、どれも実用車ばかりで高級車などは少ししか走っていません。
宮下さんによればアメリカでは車がないと子供の送り迎えもできず一家に一台ではなく、一人一台という社会だと。
アメリカ人とって日本車と韓国車の性能差はもう感じないらしく、
日本車より安い韓国車に人気がありそのうち日本は車でも韓国に抜かれる可能性が高いと言われていました。
道中、いろいろなお話を伺いながらの走り去る外の景色は、まわりには何もなく
遠くの山並みも見えず、単調な整備されていない自然が延々と続きます。
(夫婦そろって体調が良くなく、レンタカーでなく良かったと安堵)
再び車内で気持ちが悪くなった妻に対して途中、高速から降りガソリンスタンドよってもらい休憩、
事前の天気予報でシカゴは100%雨だったのですが奇跡的にも晴れ間が拡がり好運でした。
空港から1時間半近くかかって予約時間である午後1時の30分前に到着。
ファンズワース邸(1951年)
ファンズワース邸の受付センターで予約番号を見せ、午後1時よりセンター内で
スライドを通し概要の説明(もちろん英語)が15分ほどあり、ガイドに従い外へ
ファンズワース邸はミース・ファンデル・ローエによる設計で1950年にファンズワース女史の別荘として建てられた住宅
彼女はこの土地の環境を気に入り以前から所有しており、特別な関係にあったミースに、週末別荘としての設計を依頼。
当初建設予算が4万5千ドルであったのに対し、完成時に7万5千ドルに跳ね上がり訴訟となりました。
(結果的にミース勝訴)
(今でいうと例えば4千万の予算だったのに6千700万円の請求がくれば当然ながらトラブルになり、設計者側が負ける可能性もあり、ミースはよく勝訴したと思います)
敷地のすぐ横を川が流れており、度々この川の氾濫もあり湿地帯のような場所でかなりリスクのある環境です。
緑の中に舞い降りたような純粋幾何学のこの建物は素晴らしく美しい!
まさしくここは20世紀モダニズムを代表する住宅の聖地です!!
(このガイドの説明が3倍速ぐらい速くした英語で全くわかりませんでした。一緒にいるスペインから来た建築家の若い女性二人もワカラナーイ!と両手を拡げていましたが、心の中で、このヤロウ!日本に来たら日本語の早口言葉で復讐してやるぞ!—-と思う—–)
(アプローチとは反対側の北側立面)
この住宅は、グランドレベルから浮いている軽やかさが素晴らしいのですが、これは川の氾濫を考慮した現実的対応の結果で恣意的なものではありません。
室内の床はグランドから約1.6m浮いており、柱のスパン(間隔)は約6.7m、建物の長さが6.7m×3スパン+1.67×2=23.44m、奥行き約8.8m、室内の広さは147.3㎡(44.5坪)、天井高さ約2.9m、建物を水平方向にのびやかに演出している上下の白いC型鋼の梁成(高さ)はともには38cm。
(軒下の中間領域としての外部スペースがゆったりとしており気持ちいい!また、1.6mの高さへ上がるためにワンクッションとして建物と同じ長さの巨大な踊り場を設けられておりこの部分の段違いのずれたラインによって建物の水平ラインがさらに強調されています)
C型鋼の梁はH型鋼の柱の横腹で受けており、柱、梁が明快に切り離され表現されています。
また、ボクなり細かい部分として気付いたことはH型鋼の上端を梁の上部に合わせずに少し下げているというところです。
何故か?——建物をグランドレベルでの人の目線高さで離れて見た場合、上端を揃えてしまうとH型鋼の上端が梁天端より出て見えてしまう為、少し下げているのです。
また上の写真の外部軒天は外周部を回っているC型鋼より目透かし目地を取って少し下げてあり、雨水が軒天部分に回らないような細やかな工夫がされてあります。
建物は全周ガラス張りでキッチンや浴室の換気用の穴はどうしているかと言えば、実は内部のコアから屋根上部に外から見てもほとんど見えない状態で立ち上がりが取られそれに箱を被せて回り込むような給排気システムで対応されています。
雨水、排水はコア部より直下にまとめてグランドレベルへ下ろされていますがほとんど目立ちません。
内部はもちろん入れましたが、日曜日の場合、午後3時以降での内部写真撮影が許可のため、残念ながら内観の写真がありません。
(外部のデッキ側からの内観撮影はOK)
内部はもっと人工的に感じるのではと思っていたところ、天井までのガラスによる開放感は、外部環境との関係性において樹木の存在が大きく、とても気持ち良く外部とのつながりを感じさせる空間でした。
プランはキッチン、二つのサニタリー(バス、洗面、トイレ)、機械室がコアにまとめられ、コアによってダイニング、リビング、ベッドルームスペースが連続的に繋がりながら領域として分けられています。
天井には一切照明がなく、たぶんフロアスタンドで対応するようになっており、したがって壁にスイッチもありません(コア内にはアリ)床上にほとんど目立たない状態で各所にフロアコンセントが設置されています。
外周部のガラスは東側を除きFIX(はめ殺し)で寝室ゾーンとなっている東面の1/3中央部が唯一通風用としての開閉式窓になっています。
外部に続き内部のディテールも徹底しておりガラスの結露に対しても床のトラバーチンより窓側床面が少し下がっており(外部ポーチ回りの写真を見ると床面が外周を回っているC型鋼より少し上げられていることがわかります)
コア内にはクローゼットがなく、女史がミースへ服の収納が何故ないのか質したところ必要なのかという返答だったようでやむを得ず自立式の衣装ケースを置いたそうですが、それはミースの意志に反する為建物から取り除かれているそうです。
たぶんミースは週末住宅ということもあってか生活をミニマム化するとともに建物の外観、内観のディテールを徹底的に詰め、この住宅を芸術の領域まで高めたかったのだろうと思います。そうした一貫した妥協をしない姿勢が凄い迫力で迫ってくる住宅です。我々が日々研鑽を積みながら行ってきたことが1950年に全てというかそれ以上にすでに行われており愕然とします。
この建物を30分みるためだけに一日を割くという一般のツアー客の方々にはもったいないと思われるかもしれませんが、ボク自身は本当に行って良かったと思いました——-我が旅に悔いはなし!!